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東京高等裁判所 昭和52年(ラ)975号 決定 1980年2月07日

抗告人

野田和男

一九名

右二〇名代理人

堂野達也

外三三名

主文

本件抗告を棄却する。

理由

一抗告の趣旨

原決定中抗告人らに関する部分を取り消す。抗告人らと昭和電工株式会社との間の長野地方裁判所松本支部昭和五二年(ワ)第一一五号損害賠償請求事件について抗告人らに対し訴訟上の救助を付与する。

二抗告理由の要旨

抗告人らは、いずれも、昭和電工株式会社塩尻工場の排出するクロム禍のため健康を蝕まれた者であるが、外一九二名の被害者とともに、同会社に対して提起した損害賠償請求訴訟に関し、原裁判所に訴訟救助の申立てをしたところ、同裁判所は、昭和五二年一一月一六日、抗告人ら以外の者については訴訟救助を付与し、抗告人らについてはその申立てを却下する旨の決定をした。

しかし、原決定は、抗告人らに関する限り、以下述べる理由によつて違法である。すなわち、

(一)  原決定は、特段の事情がないにもかかわらず、家族構成及び収入の面で、訴訟救助の付与を認めた者よりも条件の悪い抗告人らの訴訟救助の申立てを却下しているので、すでにこの点において違法たるを免かれない。

(二)  また、原決定の想定している訴訟費用支払能力の有無判定の基準金額は低きに失する。

およそ、訴訟救助の制度は、新憲法の下においては、単なる貧困者に対する国の恩恵ではなく、裁判を受ける権利を保障した憲法三二条や、法の下の平等、健康で文化的な生活を営む権利、生命、自由及び幸福追求に対する権利を保障した憲法一四条、二五条、一三条の理念を実現する手段として理解すべきである。したがつて、民訴法一一八条にいう「訴訟費用ヲ支払フ資力ナキ者」とは、健康で文化的な生活を営みながら訴訟を遂行することができる資力を有しない者、いいかえれば、訴訟費用を負担するときは健康で文化的な生活を破壊される者を指称する、というべきである。そして、右の資力の有無の判定に当つては、厳格で画一的な運用を避け、憲法の右の理念を実現することができるよう訴訟の特質に即応した弾力的運用をすべきである。ところで、(イ)本件の本案訴訟は、研削材や重金属、硫黄酸化物等の重合した有害なばいじんを吸叫ママしたため健康を蝕まれたことに対する会社の責任を追求するものであるが、ばいじんの排出、曝露、有害度等基礎的事実についての調査解明はもとより、さらに、製造工程や作業方法、医学的因果関係等についての立証活動に科学的資料を必要とする結果、法定訴訟費用が高額になるばかりでなく、それに伴う調査研究等にぼう大な法定外費用を必要とする。一方、抗告人らは現に健康を蝕まれ、今後継続的に治療費等の支出を余儀なくされているのである。(ロ)また、いわゆる公害訴訟にあつては、被害者たる原告は知識、資力ともに乏しい一般庶民であるのに対し、加害者たる被告が知識、資力ともに存分に駆使し得る巨大な企業であることにかんがみ、武器の平等、当事者公平の原則等に照らし、資力の有無は、被告会社の資力との相対的評価の下に判定すべきである。(ハ)さらに、いわゆる公害訴訟にあつては、原告勝訴の見込みの高いことは、経験則の示すところであり、本案訴訟において勝訴した者は訴訟費用を負担しないという原則にかんがみれば、勝訴の蓋然性の高い場合には、救助の要件も緩和されて然るべきである。以上のような事情を勘案すれば、本件における資力の有無判定の基準金額は、国民の一般的所得水準よりも高位に求めるべきである。近時の裁判例(大阪高裁昭和五三年四月二六日決定)も、集団訴訟である薬害訴訟において、世帯主の税込年収が四七八万六、五〇五円の者に対しても訴訟救助を付与している。なお、抗告人らの中には、不動産を所有している者もあるが、それらは、居住用のもので、容易に換価しえないものであるから、資力の有無の判定に当つては度外視すべきである。

以上のような見地に立つて抗告人らの資力の有無に言及するのに、

(1)  抗告人野口和男は、独身で年収一九三万円の給与所得はあるが、治療費として月額約三万円の出費を余儀なくされているから、訴訟費用を支払う資力はないものというべきである。

(2)  抗告人小池末喜は、年収三四七万五、一七七円の給与所得はあるが、妻を扶養しているから、訴訟費用を支払う資力はない。

(3)  抗告人川上賢二は、独身で年収一八五万六、一八四円の給与所得があり、同居の父も、年収八二万六、六三六円の給与所得があるが、その合計は二六八万二、八二〇円でしかなく、二人で同居の母、兄(無職)及び弟(学生)を扶養しているから、訴訟費用を支払う資力はない。

(4)  抗告人池田初男は、年収一四六万七、〇〇〇円の給与所得があり、同居の妻も、年収一三八万六、九四八円の給与所得があるが、その合計は二八五万三、九四八円でしかなく、二人で同居の母を扶養しているから、訴訟費用を支払う資力はない。

(5)  抗告人浦沢広一は、保育園児であつて、同居の父母に扶養されており、他に生計を共にする家族として祖母、弟、妹がいるところ、靴小売業を営んでいる父母の年収は合計でも三八九万八、〇〇〇円でしかないから、訴訟費用を支払う資力はない。

(6)  抗告人田中一子は、家庭の主婦であつて無収入であり、同居の夫に年収四八一万八、五四三円の給与所得があるといつても、右は、前記裁判例の額とほぼ同額であるにすぎないから、訴訟費用を支払う資力はないものというべきである。

(7)  抗告人松村みきえは、年収四二七万三、四六〇円の給与所得があるが、治療費として相当の出費を余儀なくされているから、訴訟費用を支払う資力はない。

(8)  抗告人小口進は、年収二七六万五、〇三六円の給与所得があり、妻の抗告人小口縫子も、年収一四三万二、八一四円の給与所得があるが、その合計は四一九万七、八五〇円でしかなく、二人で同居の抗告人小口ゆかり、同小口久之を含む未成年の子四人を扶養しているから、右抗告人らに訴訟費用を支払う資力はない。

(9)  抗告人樋口百合子は、年収一五一万二、八二二円の給与所得があるが、生計を共にする家族として父母及び妹二人がいるから、訴訟費用を支払う資力はない。

(10)  抗告人百瀬佐千雄は、同居の母、妻の抗告人百瀬亀代子及び未成年の子二人を扶養しているが、その年収は給与所得と農業所得の合計二九六万二、二九八円しかないから、右抗告人らに、訴訟費用は支払う資力はない。

(11)  抗告人百瀬富雄は、三三八万二、三八八円の農業所得等があり、同居の長男とその妻も、年収六五万円の商業所得があるが、その合計は四〇三万二、三八八円でしかなく、他に妻の抗告人百瀬保子及び未成年の子を扶養しているから、右抗告人らに訴訟費用を支払う資力はない。

(12)  抗告人久保田至は、年収三一三万七、九四〇円の給与所得があるが、妻の抗告人久保田孝子及び未成年の子一人を扶養しているから、右抗告人らに訴訟費用を支払う資力はない。

(13)  抗告人赤津雄蔵は、独身で年収二二四万一、〇三七円の給与所得があるが、右は、現時の独身者の一般的水準と比較してそれほど高額ではないから、訴訟費用を支払う資力はないものというべきである。

三当裁判所の判断

(基準金額について)

(一) 訴訟救助の制度は、新憲法の下においては、単なる貧困者に対する国の恩恵ではなく、裁判を受ける権利を保障した憲法三二条や法の下の平等を保障した憲法一四条の理念を実現する手段として理解すべきこと、まさに、所論のとおりである。そして、また、憲法は、すべての国民に対して「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障しているのであるから、救助付与の対象者である民訴法一一八条にいう「訴訟費用ヲ支払フ資力ナキ者」とは、自然人にあつては、訴訟費用を支払うと「健康で文化的な最低限度の生活」が害される者をいうものと解すべきである。ところで、ここに「健康で文化的な最低限度の生活」といつても―それは、もともと抽象的な相対的概念で、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上するのはもとより、多数の不確定的要素を総合考慮してはじめて決定できるものではあるが―それほど潤沢なものではあり得ず、国民の一般的生活水準を維持し得るに足りる程度のものであることを知らなければならない。

ところで、総理府統計局編・家計調査年報並びに労働大臣官房統計情報部編・労働統計年報(いずれも昭和五二年版)によれば、昭和五二年における標準勤労者世帯(世帯人員3.79人)の全国平均年収(税込み、以下同じ。)は、三四三万二、四六八円、支出の収入に対する割合いは79.6パーセントであつて、両者の差異は七〇万八二四円となり、また、労働大臣官房統計情報部編・昭和五二年賃金構造基本統計調査報告第一巻によれば、同年における全産業の二〇才から二四才までの勤労者の平均年収は一六四万八、〇〇〇円であることが認められ、その支出の収入に対する割合いを79.6パーセントと見積ると、両者の差額は三三万六、一九二円となる。そして、収入と支出との間に右のような差額のあることは、それだけ生活に余裕があることを物語るものということができる。そして、抗告人らは、いずれも、長野県内に居住するものであるが、前記統計年鑑によれば、長野県における収入と支出の差額と前記全国平均のそれとは、大差のないことが認められる。そこで、本件においては、本案訴訟の訴額、特質をも勘案して、同居の家族が四人までの抗告人については年収三〇〇万円をもつて、また、独身の抗告人については年収一五〇万円をもつて、資力判定の一応の最低基準とし、他に特段の事情のない限り、年収が右の金額を下回る者は、民訴法一一八条にいう「訴訟費用ヲ支払フ資力ナキ者」に該当し、然らざる者は、これに該当しないとみるのが相当である。

抗告人らは、本件の本案訴訟がいわゆる公害訴訟であることの特質を強調して、資力の有無を判定するための基準金額は、国民の一般的所得水準よりも高位に求めるべきであると主張する。しかし、記録によれば、本件の本案訴訟の原告は、抗告人らを含めて二一二名の多きに達し、そのほとんどすべての者が各世帯単位に分かれており、また、審理の重点も、各原告の個別的事項よりも責任原因のごとく原告全部に共通する事項に置かれるものと認められ、訴訟の準備、追行について各原告の負担すべき費用の均分額は、さほど高額に達するものとも思われないので、前記の基準金額であれば、申立人毎に決せられるべき具体的金額としてはともかく、一般的資力判定の基準金額としては、低きに失するものとはいえない。

(基準の具体的運用について)

(二) 以上は、資力の有無判定の一般的基準の設定について立言したのであるが、基準の具体的運用に当つては、諸般の事情を勘案して、憲法三二条の理念を実現し得るよう弾力的に行なうことが肝要である。抗告人らがいわゆる公害訴訟における資力の有無の判定は、単に被害者たる原告の事情だけについてではなく、加害者たる被告会社の資力との相対的評価の下に行うべきであるとか、勝訴の蓋然性が高い場合には、無資力の要件を緩和すべきであると主張するのも、そのこと自体の理論的当否の点はともかくとしても、基準の弾力的運用を求めるものとしては、傾聴に価いするものということができるであろう。

しかしまた、それと同時に、民訴法が救助付与の要件を定めている趣旨(一一八条参照)にかんがみ、それが濫用にわたるがごときことのあつてはならないことを忘れるべきでない、といわなければならない。

そこで、前叙の基準に照らし、抗告人らの資力の有無を個々的に検討するのに、疎明資料によれば、次の事実が認められる。すなわち、

(1)  抗告人野田和男は、独身であるが、給与所得者として年収一九三万九八七円を得ている。ところで、同抗告人は、月額約三万円の治療費の支出を余儀なくされていると主張するが、これを認めるに足る疎明がないばかりでなく、仮りに、右治療費分を控除するとしても、同抗告人の年収残額は、一五七万九八七円である。なお、別居の父母は、原決定によつて訴訟救助を受けている。

(2)  抗告人小池末喜は、給与所得者として年収三四七万五、一七七円を得ており、生計を共にする家族として妻がいるが、同人は、原決定によつて訴訟救助を受けており、いずれも、持家に居住している。

(3)  抗告人川上賢二は、給与所得者として年収一八五万六、一八四円を得ており、同居の父も、農業所得と給与所得を併わせて年収八二万六、六三六円を得ており(その合計は二六八万二、八二〇円)、他に生計を共にする家族として母と兄がおり、全員持家に居住している。ところで、右の年収は、前記基準金額と比較してやや少ないが、父母並びに寮に別居している弟(学生)の計三名の者がすでに原決定によつて訴訟救助を受けており、また、父が農業を営んでいることにより、食生活費が一般の給与生活者よりも少なくてすむという特殊事情を考慮すべきである。

(4)  抗告人池田初男は、給与所得者として年収一四六万七、〇〇〇円を得ているが、同居の妻も、給与所得者として年収一三八万六、九四八円を得ており(その合計は二八五万三、九四八円)、他に生計を共にする家族としては母がいる。ところで、右の年収は、前記基準金額と比較してやや少ないが、妻、母及び別居独立している弟の計三名の者がすでに原決定によつて訴訟救助を受けており、また、同居の家族数が右のとおり三名であること等の特殊事情を考慮すべきである。

(5)  抗告人浦沢広一は、昭和四六年七月九日生まれの幼児であつて、同居の父母に扶養されているが、靴小売業を営んでいる父母の年収は、合計四〇七万八、〇〇〇円であつて、同居の祖母そよは、原決定によつて訴訟救助を受けており、全員持家に居住している。

(6)  抗告人高砂武昭は、給与所得者として年収四七一万九、九八四円を得ており、生計を共にする家族として妻及び未成年者二人を含む子供三人がいるが、妻は、原決定によつて訴訟救助を受けており、全員持家に居住している。なお、治療費として月額約一万円の出費を要する見込みである。

(7)  抗告人田中一子は、家庭の主婦であつて定収入はないが、同居の夫に扶養されており、夫は、給与所得者として年収四八一万八、五四三円を得ており、いずれも持家に居住している。

(8)  抗告人松村みきえは、独身であるが、給与所得者として年収四二七万三、四六〇円を得ており、借家の賃料は、一か月二、〇〇〇円にすぎない。ところで、同抗告人は、治療費として相当の支出をせざるを得ない旨主張するが、これを認めるに足る疎明はない。

(9)  抗告人小口進は、給与所得者として年収二七六万五、〇三六円を得ているが、妻の抗告人小口縫子も、給与所得者として年収一四三万二、八一四円を得ており(その合計は四一九万七、八五〇円)、他に生計を共にする家族として未成年の子である抗告人小口ゆかり及び同小口久之がおり、全員持家に居住している。

(10)  抗告人樋口百合子は、給与所得者として一五一万二、八二二円を得ており、同居の父母も、給与所得者として併せて年収三三五万九、六七一円を得ており(その合計は四八七万二、四九三円)、他に生計を共にする家族として未成年者一人を含む妹二人がいるが、父母と妹二人は原決定によつて訴訟救助を受けており、また、借家の賃料は、一か月五、〇〇〇円にすぎない。

(11)  抗告人百瀬佐千雄は、農業所得と給与所得を併わせて年収二九六万二、二九八円を得ており、生計を共にする家族として妻の抗告人百瀬亀代子、母及び未成年の子二人がいるが、全員持家に居住している。ところで、右の年収は、前記基準金額と比較してやや少ないが、母及び長女がすでに原決定によつて訴訟救助を受けており、また、自ら農業を営んでいることにより食生活費が一般の給与生活者よりも少なくてすむという特殊事情を考慮しなければならない。

(12)  抗告人百瀬冨雄は、事業所得並びに給与所得として年収三三八万二、三八八円を得ているが、同居の二男及びその妻も、給与所得者として併せて年収六五万円を得ており(その合計は四〇三万二、三八八円)、他に生計を共にする家族として妻の抗告人百瀬保子及び未成年の孫一人がいるが、同人と二男及びその妻は、原決定によつて訴訟救助を受けている。

(13)  抗告人久保田至は、給与所得者として年収三一三万七、九四〇円を得ており、生計を共にする家族としては、妻の抗告人久保田孝子及び未成年の子一人の二名にすぎず、いずれも持家に居住している。

(14)  抗告人赤津雄蔵は、独身であるが、給与所得として年収二二四万一、〇三七円を得ており、兄の居宅にその家族及び母と共に同居しており、母と二人の兄は、原決定によつて訴訟救助を受けている。

してみれば、他に抗告人らに対し訴訟救助を付与すべき特段の事情の疎明がない本件においては、抗告人らは、いずれも、「訴訟費用ヲ支払フ資力ナキ者」に該当するものとはいえない。

なお、抗告人らは、原決定には、家族構成及び収入の面において、訴訟救助の付与を認めた者よりも条件の悪い抗告人の訴訟救助の申立てを却下した点で違法があるように主張する。しかし、訴訟救助の許否は、当該申立人が「訴訟費用ヲ支払フ資力ナキ者」に該当するか否かの個別的判断に尽きるのであつて、訴訟救助を認められた者と認められなかつた者との相対的比較のごときは、それが原審に認められた裁量権の濫用にわたるものでない限り、原決定を違法たらしめるものではなく、右の濫用について主張、立証のない本件にあつては、抗告人らの右主張は、採用に由ないものというべきである。

よつて、抗告人らの訴訟救助の申立てを却下した原決定は相当であり、また、他に右申立てを認めるに足る資料もないので、本件抗告は理由がないのでこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(渡部吉隆 浅香恒久 中田昭孝)

(別紙)<省略>

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